あの人が、誰かを助けた所なんて、一度も見なかったし、
何かを守るなんて言うのも聞いたことがなかった。
流れてくる噂は、人を傷つけた事ばかり。
それも週に一度は必ず、という徹底ぶりだ。
見かければいつも、厳しい目をしていた。
何一つ見逃すまいとするような、
…何かを探し続けてる。酷く飢えたような目。
感じるのは、激しい渇きに似た焦燥。駆り立てられるように。
ね。何を見てるの?
何を探してるの?
気が付けば、視界に彼を探している。
噂話に、彼の名前を探している。
何故だろう。あんな怖い人なのに。
やさしい友達や、大好きな家族に囲まれたわたしも。
退屈だけど、幸せに暮らしていても。
意識のどこかで…あの飢えに共鳴したのだろうか。
そう考えると、何故だか心が震えた。
いつもの放課後、いつもの学校…のはずなのに。
おかしい。普通じゃない。何が起こったんだろう?
嫌な紫に濁って、澱んだ空。
獣みたいな叫び声がどこからか聞こえる。
いつか動物園で見た、獣が肉を齧り取る光景を思い出した。
躊躇していたわたしに、ユミちゃんが声を掛けてくれた。
ユミちゃんはこんなときでも優しいんだね、。
ちょっと言葉は乱暴だし、制服も派手なかんじだけど、
どんな時でもユミちゃんは、やさしい。
…あの人も…、怖いとか思うのかな?
「ごめんね。ちょっと…確かめたい事があるんだ。」
「そうよね。いきなり言われても、決めらんないわよね。
今どうなってるか、校舎の中見てきなよ。
でも時間はあんまりないよ。」
…ごめんね、ユミちゃん。誘ってくれてありがとう。
外の様子どころか、学校の中ですら安全でないかもしれない。
今じゃなきゃ、きっとできない。
隣…といっても階は違うけど、2-Eを覗いて見る。
あれ?そういや、…何組なんだっけ。
教室の戸口できょろきょろしていると、
黒井くんが、話しかけてくれた。
「ごめん、今はちょっと…やることがあるんだ。
すぐには決められないよ」
わたしがそう言うと、彼は深追いはしなかった。
「そうか…決心がついたら来いよ。俺ももう少しここにいる」
ふーん、「チャーリー」って、こーゆー人だったんだ。
…すっごい見たまんまだなあ。あはは。
行動的だけど、「みんなの為」なんて絶対言わなさそう。
ちょっと興味あるけど…ごめん。言ってくれて有難う。
でも、今しかできないことがあるんだ。
急ごう。でないと、手遅れになりそうな気がする。
わたしを支配する悲鳴のような衝動。
今のわたしも、彼に似た眼をしているのだろうか。
音楽室の前を通り過ぎる時、眼鏡の一年女子を見かけた。
…キレイなコだなあ。美人で頭良さそうだし。
あんな子が妹にいたら、いいだろうな、とちょっと思った。
小走りに、廊下の角を曲がろうとした。
突き当たりの、階段横から、
「…おい…」
聞き覚えのある、低い声。知ってる。
…探してたんだよ。
勢い余って半歩たたら。声をかけてきた彼に向き直る。
「てめえだ」
あまり友好的とは言い難い態度…に見えるけど。
彼にして見たら、これが普通のつもりなのかも。
「なに?あ、わたし2-Dのやまさき・みん。よろしくね」
「…2-Dのみんか」
「そう。< みん>って、< 明るい>とか、< 明(あきら)>って書くの」
彼は少し怪訝そうな顔をした。
「おれは2-Cの宮本明だ…名前は聞いてんだろ?」
「うん。ケンカ強い人だよね」
自嘲めいた感情が、僅かに彼の頬を動かしたのが見えた。
いつも通りの声。よし、ちゃんと出せてるな。
彼の表情や、感情の動くところを、初めて見た。
目に映る光景の、現実感が薄い気がする。
…まさか、聞こえはしないだろうけど。
血が心臓を起点に、突然暴れ出す。奔流が手に取るようにわかる。
鼓動が鼓膜を酷く打ちだす。…うるさいな。声が聞こえないじゃない。
「ひとつ抜け出せるアテがある…てめえも来るか?」
…え?どうして?何で誘ってくれるの?
意表をつかれた。暴力沙汰で誰も彼に寄りつかないから、
一人でいるところしか見たことがなかった。
そうやって、一人でいることを、選んでいたように見えてた。
だから、自分から誘ってくれるなんて、思いもしなかった。
「あ、うん」
多分、今のわたしの肯定は「かくかく」って表現がぴったりだ。
「皆を助けるために」といった大好きなユミちゃんでもなく。
「自力でズラかってやる」といった、面白そうなチャーリーでもなく。
ただ、何の目的も話さずに「くるか?」と訊いた彼に、
わたしは素直に頷いてしまった。
この人を探してたのに、意識よりも深いところで警鐘が鳴る。
より深層の波とは、裏腹に。
脳裏に2-Cの同級生の言葉が蘇った。
(苦しい思いをするだけだよ)
大丈夫…と思おうとして、根拠のないことに気付いた。
彼が何を考えているのか全然解らない。読めない。
今は、だよ。だって今は何も知らないんだもん。この人のこと。
私の頷いた一瞬の、目まぐるしい思考など、彼は知る由もなく。
「ここをでる準備をしようぜ…いや、てめえ準備がいいな」
そういえばさっき、クラブルームで武器になりそうなものを
探してきていたのだ。倉庫でピッケルも見つけたし。
わたしのリュックからはみでていたバットを、彼は手に取った。
グリップを確かめるように、振り回して見ている。
うーん。野球部員とは違う意味で、バットの似合う人だなあ。
「じゃ行こうぜ」
「うん」
遠くから見るだけだった背中に、今は…ついていってもいいのだ。
怖いけど、この先辛いかも知れないけど…とても嬉しくて、笑った。
電算室でガキを倒して、悪魔召還システムを佐藤くんに貰った。
八幡先生からアームターミナルをカツア…借りた。
用務員室のマンホールを使って、外に向かう。
下水路の中はやっぱり暗い。水路の脇を懐中電灯をたよりに歩く。
湿っぽくて嫌な臭いがする。早く出たいなあ。
ちゃんと外に出られたら…また、一人で行っちゃうのかな…。
とにかく外に出たら、学校の皆を連れてこのルートを抜けよう。
ユミちゃんやチャーリーを迎えに…
「ここをくぐれば…外に続いて…うわっ」
懐中電灯で照らされた、見える範囲の光景がくるっと一回転した。
足を踏み外したのか、彼の声に咄嗟に手を伸ばす。
わたしの手は、丁度彼の二の腕を掴んだ。
が!2人分の体重を支えようと、無意識に力を込めた足は、
踏んでいた地面を失った。…落ちる!
「きゃ…」浮遊感と落下感。
down,down,down.
暗闇を落ちていく。おそらく数秒だろうけど、とても長く
感じてしまう。あれ?こういうの、どこかで…?
思い出した。「不思議の国のアリス」の冒頭だ。
じゃあ、わたしがアリスで、彼はウサギなんだろうか。
落ちた時と同じく、突然に視界が開けて、
空中に投げ出されたのがわかった。
石畳と積み石のだだっ広い部屋、の数メートルある天井近く!
…やばっ…頭から落ちる!
落下時間と加速度から考えて、…嫌ぁっ…!!!
彼を掴んでいた、わたしの右手が強く引かれた。
ずででん!
落下と、硬い石畳に叩き付けられた衝撃。
石畳…じゃない!?
うわっ、し、下敷きにしちゃってるー!!!!
慌てて跳ね起きて、仰向けの彼を確かめる。
「ゴメン!大丈夫宮本くん!?ケガしてない!?」
「…してねえよ。ったくトロくせえな、てめえは…」
本当に無傷そうだ。この人の場合、重傷でも平気な顔で
立ちあがってきそうだけど。
「足とかちゃんと動かせる?どっか痛いところない?」
「うるせえ。…平気だっつってんだろ」
何事も無かったようにズボンを叩いて立ちあがる。
「そっか…良かったあ…」 心底ホッとする。
わたしたちが受けた衝撃は、どうやら天井付近からの
落下距離分で済んだらしい。地下の水路からは随分長く
落ちた気がしたんだけど…。
見上げても、天井が広がるばかりだ。地下水路なんて影も
形もない。…どうやってここに来てしまったのだろう。
さっき、…庇って…くれたのかな。
「…何だここは…変な所に出ちまったな…」
「全然外じゃないね。でも学校の中とも違うし、どこだろ?」
じっとしていても仕方がないので、出口を探して歩く。
重たい鉄の扉があったけれど、どうにも動かせない。
人間よりも、もっと大きいものが使う為の扉みたいだ。
例えば、魔物とか。
諦めて、部屋の別の一角に足を踏み入れた途端。
淡い光が集まって、虹色に光ると、人の形になった。
見覚えのある制服…ハザマくん…!?どうして!?
向こう側を透かした朧な姿は、映画で見たホログラフに似てる。
「まさかこっちに来る奴がいようとはね…」
そして、わたしたちを前に、(半透明な)ハザマくんは
薄い嘲笑をまじえて語り始めた。
ここが魔界であること。ここからは逃げられないこと。
わたしたちが、彼の支配下にあること…
「チッ、ジョーダンじゃねえ!これ以上てめえのバカに
つきあってられっか!」
宮本くんが声を荒げた。
危ない。ハザマくんを刺激しちゃ、ダメだ。
今のハザマくんは、なにか…とても怖いものを感じる。
「じゃあ、こうやって解ってもらう他にないようだ…!」
何故だか、嬉しそうに見える笑みを浮かべると、
ハザマくんの白い手袋を填めた手が僅かに動いた。
2人とも落ちついて、と口にしかけた途端、破裂音と、
その音で全身を殴られたような衝撃を同時に受けた!
「あっ…!」
「が!?」
激痛。脳の中まで満遍なく衝撃を食らって、わたしの意識は
そこで途切れた…。
「…痛た…っ」
目覚めると冷たい石畳に横たわっていた。
…残念、夢じゃないのねー…。
どうにか身を起こすと、すぐ側に彼が倒れているのが
わかった。まだ気付いていない…のか、それとも…!?
慌てて声を掛け…ようとして、息を呑んだ。
さっきのハザマくん程、明瞭ではないけれど、透けた体の
意志を持った何かが、彼を観察するように浮いている。
…蛇?でも、頭はまるきり梟のようだ。逞しい上半身や、
人に似ているけれど鋭い鍵爪のある両腕は、深い緑の
羽毛で覆われ、その下の筋肉の束がなんとなく解る。
形容するなら、「獣の美しさを持つ幽体の魔物」という感じだ。
「シースルーおばけ」というと何だか違う。
人間の数倍の大きさがありそうなそれが、彼の上の空中に、
ゆるり、とぐろを巻くように浮いているのだ。
……っ!!!!?
「ちょっとそこのひと!
宮本くんに何かしたら、
承知しないんだからねっ!!!」
…しまった。思わず言ってやってしまった。しかもピッケル構えて。
わたしの中で、何かが麻痺しつつあるような気がする。
「我と同じ痛みを受けし者よ…同じ叫びをあげし魂よ…
我が声を聞き給え…我はアモン…」
…こっちの話は聞いてくれないんだろうか。
ともあれ、宮本くんの上に浮遊したままの…アモンもまた、
語り出した。ハザマくんが、アモンや他の悪魔たちを
使い魔にして、魔界を手中に収めたこと。
「魔神皇」になって、この塔を支配していること。
アモンの力を恐れたのか、彼を肉体と魂に引き裂いて、
魂のみをここに封印したこと。
体を取り戻せば、また力を振るうことができること。
…そうすれば、魔神皇を倒せるかもしれないこと…
「さあ敵を同じくする者よ、我をその体のうちに受け入れ
ここに再び立ちあがるのだ…!」
微かにエコーのかかる、詠うような調子でそう言うと、
アモンは吸い込まれるように、宮本くんに収まってしまった!
「ちょっ…!アモン!!?宮本くんに何…!!!!」
彼に駆け寄る。半身を起こそうと彼に触れ…
ビクン!
彼の上体が痙攣のようにを跳ね起きたかと思うと、次の瞬間、
彼の姿は変わっていた…異形に。
「うおおおお……頭の中がもえる…………」
両腕で、体を丸めるように頭を抱える。その右腕は既に、
鍵爪と深い緑の羽毛を具えている…。
苦しいのだろうか、食いしばった歯は、
…犬歯がさっきより、ひどく鋭かった。
怖くなって。どうしたらいいか解らなくなって。
わたしは、彼のことをできるだけ強く抱きしめた。
これ以上、変わってしまわないように。
頬に、彼の髪が触れた。抱いた肩は、なんだか
ふかふかして気持ち良かった。…涙がたくさん出てきた。
そのまま、聞こえてくる低い呟き。
「………オレの名は…アキラ…
…そしてアモン……」
「どうやら夢でもないらしいな。
オレはもう…以前のアキラじゃないってわけか…」
肩を掴んだまま、彼の顔を覗き込んで見る。そう言った彼の表情は、
絶望なのか、希望なのか。わたしにはわからない。
「…大丈夫…なの?だって、アモンが…」
「……みん 見ていたのか?
オレはアモンという悪魔と一つになりこの体になった…」
「最初から…見てたよ…」
「そうだな。お前はオレ…いや、アモンの話を聞いてたな」
誰なんだろう…今わたしの目の前にいるのは…。
それから、宮本くん(?)も、いろいろ説明してくれた。
アモンと一つになって、アモンの知識を受け継いだらしい。
この場所は魔界の”幽閉の塔”ってこと。
ハザマくんが何故ここに来て、こんな力を持っているのか。
学校の異変は、彼の仕業、ってこと。
そしてここから出るには、魔神皇=ハザマくんを倒すしかないこと。
一通り説明が終わると、彼はわたしを促した。
あの、開かなかった鉄の扉を、今は開けられるという。
「行こうぜ、みん」
「宮本くん?」
「ミヤモトクン、はウゼェな。アキラでいい。…で、何だ?」
「…なんでもなーい。」
「ナンだそりゃ」
…良かった。アモンって呼べ、って言われなくて。
鋼鉄の扉に向かって歩く。そっと見ると、彼の目は、
もう以前のような、怖い光り方をしていなかった。
ただ、前を見ている。
それは、上、はるか頭上の。
…探し物を見つけたんだね。
わたしも、見つけたよ。
今まで、背中を追ってばかりだった。
今は肩を並べて、歩くことができる。
一緒に、行くよ。
アキラの行くところなら、どこでも、ね。
Psi-trailing"R"へ